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5月寺社巡りのご報告

更新日:2023年6月26日

2023年5月27日(土)に、神奈川県 鎌倉周辺で寺社巡りを行いました。

今回は、仏教青年会の会長であり、文学部の教授でもある佐藤孝雄さんが住職を務められている高徳院を中心に、光則寺、長谷寺、御霊神社を訪れました。


鎌倉大仏殿 高徳院

私たちが最初に訪れた高徳院(大異山高徳院清浄泉寺)は、法然上人を開祖とする浄土宗の寺院です。鎌倉大仏が有名です。

入り口で見られる仁王門は、18世紀初頭に内部の仁王像とともに他所から移築されたものと伝えられているそうです。

入り口から進むと、すぐに鎌倉大仏こと国宝銅造阿弥陀如来坐像が現れます。像高は11メートル以上あり、とても存在感がありました。

ここからは、住職の佐藤さんに案内していただきました。


鎌倉大仏の造立が開始されたのは1252年です。作者は不明ですが、運慶を中心とした「慶派」の作風の影響が見られるそうです。当初は堂宇があったようですが、その後大風等により15世紀末までに消失したようです。大仏殿が無いのは津波で流されたからではないかという説もあったそうですが、地質調査によれば高徳院まで津波が来た形跡は無かったそうです。

創建当初、大仏像の表面は塗金もしくは金箔で覆われていたそうで、大仏像の頬をよく見ると、今でも金色の痕跡があることがわかります。

鎌倉大仏の印相(手の組み方)は、阿弥陀像の印相の中で最も格式が高い「上品上生印」を結んでいます。両手の人差し指が親指の内側に入っている組み方が特徴的です。

高徳院のあちこちで見られるベンチのような石は「礎石」といい、創建当初存在した堂宇の土台だったと見られています。現在境内には56基の礎石が残っており、庭石や水盤にも転用されています。

鎌倉大仏の背中には、特徴的な窓があります。この窓が存在する理由は、中から木材を取り出すためだったのではないかと言われています。また、背中には他にも複数の鐶(金属の輪)が確認できますが、これは鋳造に使われていたのではないかと考えられています。

今回は大仏像の内部も案内していただきました。内部は想像よりずっと広いことに驚きました。

内部に触れてみると、夏は温かく冬は冷たいといいます。実際、ほのかな温かみを感じました。

鎌倉大仏は目が合うよう頭部がやや前傾に作られているため、首の強度が低く、昭和の大改修では強化プラスチックで内部を補強したそうです。上を見上げると、補強された痕と、その先の頭部を見ることができます。

背中の穴からは光が射し込んでおり、十分な明るさを感じられました。

佐藤さんによれば、国宝である鎌倉大仏の内部拝観は文化財保護の観点からやめるべきではないか、改めて堂宇を建てたほうがいいのではないかといった意見もかつて出ていたそうですが、信仰を守ることを優先し、佐藤さんが現在の方針に決めたのだそうです。

内部拝観のあとは、周囲の文化財を案内していただきました。

これは与謝野晶子の歌碑です。「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」という短歌ですが、鎌倉大仏は阿弥陀仏であるため、「釈迦牟尼」という表現は正しくありません。このことは当時から指摘されていたようですが、原作を尊重して原文の歌碑が置かれているようです。関連資料は高徳院の公式サイトに掲載されています。

これは観月堂という建物です。15世紀中頃に朝鮮の王宮内に建築されたと伝えられる建物で、1924年に高徳院に寄贈されました。日本の建築様式ではなく、間違いなく王家ゆかりの貴重な文化財であるということで、近いうちにソウルに移築するかもしれないそうです。

これは「ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑」です。ジャヤワルダナ元大統領は、1951年の対日講和会議でスリランカの日本への賠償請求を放棄することを宣言しました。これは戦後日本の復興に大きな役割を果たしました。スリランカは仏教国で、日本にも仏教が根付いていたことがこの出来事に繋がっているようです。

昼食のため、私たちは普段は入れない場所にも案内していただきました。

関係者しか入れない場所ですが、見上げると屋根から大仏像の一部を拝むことができました。

こちらの庭には礎石が置かれており、美しい風景を楽しむことができます。

小さな仏像も見かけました。

建物に入ると、佐藤さんから用意していただいた昼食をいただきました。お弁当は紐を引いて加熱するタイプで、加熱している間に部員全員の自己紹介を行いました。

中はすき焼き弁当で、お腹いっぱいになりました。今回の寺社巡りでは初めて参加していただいた方々も多く、食べながら部員間でも親睦を深めることができました。

今回は佐藤さんに直接案内していただけたこともあり、短い時間でしたが、とても楽しく学びのある時間を過ごすことができました。


光則寺

光則寺は、1274年に創建された、日蓮宗の寺院です。

日蓮宗の創設者 日蓮聖人は、1260年に著した「立正安国論」が幕府に批判的だったことなどから度々迫害を受けており、1271年には佐渡へ流罪となりました。このとき、日蓮の弟子の一人であった日朗上人も捕らえられ、北条時頼の側近であった宿谷光則の屋敷で土牢に監禁されました。

しかしその後、宿谷光則は次第に日蓮聖人に帰依するようになり、1274年に日蓮が佐渡流罪から赦免されると、自宅を寺院に変え光則寺を創建しました。

これは光則寺の入り口、朱色の山門です。

これは光則寺の本堂です。周囲には多くの花々が植えられており、紫陽花も見ることができました。

これは日朗上人が捕らえられていた土牢です。山を少し登ったところにありました。

この牢ごしに日朗上人と宿谷光則はどのようなやり取りをしたのか、思いを馳せてしまいました。

これは近くの建物にいた孔雀です。


長谷寺

次に訪れたのは、紫陽花の名所として有名な長谷寺です。この日は非常に多くの観光客で賑わっていました。

弁天窟に入る一同の写真です。

弁天窟の壁面には、弁財天とその眷属である十六童子が彫られています。また、弁財天の頭の上に乗っていて、蛇の体なのに顔だけお爺さんの姿をしている宇賀神も祀られています。

これは書院です。庭園には美しい枯山水が作られています。

これは地蔵堂です。

非常に多くのお地蔵さまが祀られています。

これは長谷寺の本堂です。堂内には本尊である十一面観音菩薩像があり、像高9メートル以上の神々しいお姿には思わず圧倒されました。木彫仏としては日本最大級なのだそうです。

本堂の左隣には「あじさい路」があり、山道を歩きながら紫陽花を楽しむことができます。長谷寺は鎌倉の街と海を一望できることも特徴で、非常に美しい眺望を堪能することができました。


紫陽花の時期としてはやや早かったのですが、既に多くの紫陽花が花を咲かせていました。

これは経蔵に設置されているマニ車です。般若心経の真言が刻まれており、手で回すほど功徳を得られるとされています。


御霊神社

最後に訪れたのは御霊神社です。平安時代の武将、鎌倉権五郎景政(鎌倉景正)が祀られています。紫陽花の名所でもあり、すぐ近くを江ノ電が走っていることも特徴です。

この後は由比ヶ浜海岸へ向かい、海を眺めながらの解散となりました。


江ノ島周辺

解散後、一部のメンバーは江ノ島周辺を散策しました。日が沈むまで楽しんでいた様子が伝わってくる写真です。



今回の寺社巡りでは、前回同様20名以上の方々に参加していただき、とても賑わいのある活動となりました。今後も多くの方々に楽しんでいただける企画をおこなって参りますので、どうぞよろしくお願いいたしします。


次回は、6月25日(日)に根津美術館を訪れる予定です。

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慶應義塾大学公認学生団体仏教青年会

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